「披荊斬棘」や「我們的歌」で陳小春が「友情歳月」を歌っているのを見て、どうしても見返したくなった本作。みんな若い!鄭伊健かっこいい!香港がネオンサインきらきら!
ここから先は「古惑仔之人在江湖」のエンドまでのストーリーのネタバレが含まれます。ご注意ください。
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どんな映画?
映画の公開は1996年。香港ノワールのブームが過ぎ、その後の古装片ブームがひと段落した頃の登場だ。もうすぐ30年…時が過ぎるのは早い。
主演は当時劉徳華、張学友ら香港の四大天王と互角の人気を誇った鄭伊健Ekin Cheng Yee Kin、この映画でブレークした陳小春Jordan Chan Siu Chun。強烈な印象を残すヴィランに吳鎮宇Francis Ng。物語の中心である団地出身の5人組を演じるのはいずれも当時20代の若者だった。
監督の劉偉強Andrew Lauは撮影畑出身。この映画で監督としても名を上げ、後に「無間道(邦題:インファナル・アフェア)」シリーズを監督する。
原作は牛佬作の漫画「古惑仔」。1992年に連載(香港の漫画はアメリカ風に一作品一冊の形式で、本屋ではなく雑誌スタンドで売られることが殆ど。この作品は「3日刊」3日に一度発行?)が開始され、2020年まで!28年もの間連載(全2335期)されたようだ。漫画というより劇画と言った方がいい画風で、映画の中でも時々原画が挿入されている。
お話はシンプルだ。
陳浩南(鄭伊健 飾)、山雞(陳小春 飾)ら団地出身の5人は中学の頃、地元の大物マフィア・B哥(吳志雄 飾)の許でこの稼業に足を踏み入れた。
稼業は順調だったが、裏ビデオ販売等を生業とし、B哥と対立する𡃁坤(吳鎮宇 飾)から少女を救ったことで対立が激化。仕事先のマカオで𡃁坤の罠に嵌められた5人は1人が死亡、陳浩南は江湖からの引退、山雞は台湾への逃亡を迫られることに。𡃁坤は大ボスの座を手に入れ、邪魔なB哥を始末にかかる。一度は江湖から足を洗った陳浩南たち、果たしてB哥の仇を討てるのか…?
この映画は大ヒットし、「古惑仔」ブームを巻き起こした。正式な続編と呼べるものが5本、その他にも外伝やら新伝やらが沢山作られた。
…でも現在配信、一切ないんだよなあ。あれだけの本数作られたのだから、一本位何処かで配信されていてもいいのに、ない。やっぱりマフィアの構成員が非常にかっこよく楽し気に見え、憧れる若い子が出そうなのが問題…?
香港ノワールのNew Wave
この映画は公開当時「新しい」と評された。
何が新しかったかというと主人公が「古惑仔」だったことに尽きる、と思う。
「古惑仔」とは「無軌道な若者」という風に訳されるけど要は「チンピラ」「不良」みたいなもの。「仔」の字が日本語にないので日本のファンは日本語とチャンポンで「こわくちゃい」と呼んでいた。
勿論、それ以前の香港ノワールだって若者が主人公の場合は多かった。ただ、かつての主人公は大抵中ボスの部下、マフィアのランクでは最底辺の鉄砲玉だ。
それに比べ「古惑仔」の主人公・陳浩南には配下に共に育った4人の仲間がおり、突撃隊長ではあっても使い捨ての鉄砲玉ではない。
ヴィランの側が輪をかけて残酷なので印象が薄められてはいるけれど、彼らのやり方は主人公にしては極めて暴力的で残酷だ。対立する相手を暴力で脅すだけでなく、遊びの延長のような手際の良さで実際に殺しもする。
主役の鄭伊健は「余りに暴力的だ」として最初、この役のオファーを断ったという。
陳浩南とその仲間たちの繋がりも新しかった。これまでの「男の美学」で貫かれる関係性とは全く異質。
彼らは「共に死線を潜り抜けてきた兄弟」というより幼馴染の延長で、稼業というより遊びの延長。もっと言えば、陳浩南の上司であるB哥も対立する𡃁坤も皆同じ団地の出身。子供の頃の関係がそのまま続いている印象でB哥と陳浩南の関係も兄弟分というより、セリフにもある通り「父と息子」に近い。
オールロケが生む解放感
マフィアたちが真昼間の繁華街を颯爽と練り歩く、というシーンも話題になった。これまでの香港ノワールは屋外のナイトシーンはあってもデイシーンは殆どなかったからだ(基本的に撮影許可が下りない香港ではすべてが無許可撮影で、昼間の撮影は難しい)。マカオとは言え、乱闘シーンも真昼間だ。(この後のシリーズで確か昼間の歩道橋の上での乱闘シーンもあったような…)
引退した陳浩南が営むホットドッグカフェも西貢のウォーターフロントにあり洋風でお洒落。
シーンの最後が漫画になる、というのも当時としては斬新だった。
見え隠れする「リアル」
実録もの風のオープニングは香港ノワールの先祖でもある「仁義なき戦い」の影響かもしれないし、「古装片」ブームが下火になった時に流行った「猟奇片」の影響もあるのかもしれない。「八仙飯店之人肉饅頭」(内容はほぼタイトル通りだ)に代表される猟奇片は、実際にあった猟奇事件を題材にしたエログロ映画のこと。欧米のスプラッタームービーに近い。ただ、スプラッタームービーの多くが「遊びに行った先の山荘」みたいな生活感のない場所が舞台なのに対し、路地裏の汚い店裏で行われる凶行は奇妙な現実感があって、そこが怖かった。劉偉強も2本ほど監督している。
「猟奇片」のブームは香港映画の「残酷描写」のハードルを大きく下げたのかもしれない。乱闘シーン、アクションシーンの描写もこれまでの映画とはだいぶ違う。
街中のロケで火薬が使えないせいもあるのだろう、これまでのように無尽蔵な弾丸の嵐、という描写はない。刀、鉄パイプといったより実際の抗争に近そうな武器が使われる。殺傷能力が低くなった分手数が増え、逆にそれがリアルで残酷な描写となった。
まっ昼間の香港を闊歩する陳浩南たちは実に生き生きしている。
一方で女の子たちと一夜を共にした山雞のベッドサイドに捨てられた薬の殻や、路地へのカメラ移動の際ちらりと映る路上生活者の姿は、視聴者を現実に引き戻し、必ずしもこの映画が主人公らの行動を全肯定しているわけでないことを伺わせる。
「人在江湖」の意味
キャラクター設定や撮影が斬新なのに反し、ストーリーは「香港ノワール」の基本線に忠実だ。江湖で一番大切なのは「義」、窮地に陥った時に助けてくれるのは「兄弟」。この辺りは以前の香港ノワール、それ以前の「武侠もの」の構造と変わりはない。
タイトルにつけ加えられた、そもそも原作の漫画にはない「人在江湖」という言葉は武侠小説からの引用だそうだ。
「人在江湖,身不由己」
(江湖に身を置く以上、その身を己でどうにかすることはできない)
金庸と並ぶ武侠小説の巨匠、古龍の小説の中の言葉だそうだ。古龍は己の小説の中で何度もこの言葉を使っている。「楚留香伝奇」ではこの後に「情仇难却,恩怨无尽。」と続く。
…結局武侠小説の世界で描かれる江湖の人々も、この映画でスタイリッシュに活きる彼らも本質的には変わらず、しがらみに縛られる、ということだろうか。
ただこの映画、ハッピーエンドなのだ。この手の映画では主人公が傷だらけになりながら本懐を遂げる、というのが王道なだけに、結局自分の手も汚さず新たな縄張りを手に入れる、というのは新しい展開だ。今までの香港ノワールが良くも悪くもロマンティックな男の美学を紡いできたのに対し、かなりドライなエンドでもある。
実録風のオープニングやドキュメンタリーの気分を残す屋外での撮影と、漫画チックでかっこのいい成功談が奇妙なバランスを保っている為、爽快感と同時に一抹の暗さも感じでしまう不思議なテイストの終わり方だ。
OST「友情歳月」
鄭伊健が歌うOST「友情歳月」、この歌も大ヒットした。なにせ映画の一番いいところで流れるので、この曲を聴くと反射的に「あの場面観たい!」って気分になる。
歌詞の内容は「かつて共に闘った、もう逢うことのできない仲間を懐かしむ」という内容で。映画内の陳浩南と山雞の関係を思わせるもの。陳小春も歌っているし、古巨基や李克勤ら香港の大物歌手もカバーしている。
作詞の劉卓耀はBeyondの「灰色軌跡」「大地」「長城」を手掛けた人。作曲の陳光榮は鄭伊健のアルバムの音楽プロデューサーを務めていた人物で、「無間道」シリーズをはじめ沢山の映画音楽も作っている。
この曲は他の映画のOSTとしても使われており、「古惑仔」と同じキャストで22年ぶりに作られた「黄金兄弟(2018 邦題:ゴールデン・ジョブ)」、呉鎮宇が自ら監督を務めた「轉型團伙(2019)」等で用いられた。
「轉型團伙」のバージョンは刘宇宁と呉鎮宇のデュエット(呉鎮宇の方は歌うというよりRAPというか台詞というか…)で、原曲の雰囲気が感じられてとても楽しい。
音楽番組では「披荊斬棘的哥哥」( 「披荊斬棘」シリーズの第一季)で陳小春と謝天華(5人組の一人 大天二)林曉峰(5人組の一人、包皮)と共に歌っていた。悪ガキがそのまま大きくなったようなパフォーマンスで、映画を観た人なら懐かしくなること間違いない。
鄭伊健は「黄金兄弟」以降映画にも出ていないし(コンサートはやるけれど)レコード会社とも契約を解除してしまって殆ど活動していないのに対し、映画の当時音楽活動をしていなかった陳小春が今も現役歌手として活動している。人生って不思議。
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題名:古惑仔之人在江湖 Young and Dangerous
邦題:欲望の街 古惑仔I銅鑼湾の疾風
監督:劉偉強 編劇:文雋 原作:牛佬「古惑仔」靚坤篇 1996年
出演:鄭伊健 陳小春 吳鎮宇 任達華 吳志雄