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英雄を描くのって難しい「天龍八部之喬峯傳」(日本語タイトル「シャクラ」)

日本語のタイトルからはさっぱり分からないけれど金庸作「天龍八部」の映画化だ。

 

武侠小説は大体大長編だし登場人物も多いので、映画の尺に収めるのは難しい。大抵の場合二つの方法がとられる。

①有名な部分か人物を中心に粗筋を辿る、ダイジェスト版

②原作のエッセンスを大切にしつつ(←ここ大事)、登場人物の一部を用いて新たに物語を作り直す

この映画は①、主人公の一人喬峯を中心に見せ場を次々展開する、そんな映画だ。

 

タイトルの「シャクラ」は帝釈天サンスクリット語だそうで、そもそも「天龍八部」というタイトルが仏教の天龍八部衆からとられており、主人公の喬峯が軍神・帝釈天に対応しているのが定説になっているから…とパンフレットに書いてあった。今回のパンフレットは買う価値がある。人物相関図も「天龍八部」がどんな作品かも詳しく書いてあるし、アクション監督の谷垣健治氏へのインタビューで、撮影現場の雰囲気も分かる。

ここから先は「天龍八部」物語そのもののネタバレが含まれます。ご注意ください。

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天龍八部之喬峯傳」豆瓣より大陸版ポスター 原作ファンの評価は厳し目だ

久々に香港映画をスクリーンで観た。大きい♡楽しい♡ おまけに広東語だ。

主演の甄子丹が製作(王晶と共同)・総監督も務めているので、アクションシーンは迫力満点。違うシチュエーションでのアクションが次から次に展開するので、飽きたりする暇はない。アクション映画としてはとても面白い。甄子丹は還暦になったはずなのに、よく動く。偉い。セットを壊しすぎて、横店からは結構な額の修復費を請求されたそうだけれど、その甲斐はあったんじゃないだろうか。

 

ただ、喬峯を演じるには少々年齢が行き過ぎている気が…。喬峯は金庸の小説の中でもヒーロー中のヒーローだから、演じたい気持ちはわかるけど、一人二役でやってた喬峯のお父さんの時の方が渋くて良かった…ような。

 

ヒロインの阿朱には陳鈺琪(「月上重火」「香蜜沉沉燼如霜」)。動けるからいいか…と思っていたら、動くところは殆どなかった。最初から毒にやられて、割と早く亡くなってしまうので、ずっと顔色悪いし活躍の場もない。気の毒。

段誉や虚竹はほぼ登場せず、メインのヴィラン、慕容復は登場。…だけど彼の苦境(武芸では喬峯に勝てず燕国の再興は難しすぎ)は殆ど描かれないので、やっぱり気の毒な扱い。

武侠小説の映画化は難しい

武侠小説は大抵長いし、大長編の映画化って難しい。甄子丹は、武侠小説の映画化は原作ファンに不評なのは承知、その評価を覆したい、というようなことをインタビューで言っていたけれど、成功したかどうかは正直微妙。

 

喬峯の英雄性、ってやっぱり小説のあのラストにあるのだと思う。二つの国に引き裂かれ、それでも「正道」を貫こうとする生き方そのものが英雄的で、誰も犠牲にしない代わりに自分の命を差し出す彼の姿に感動する。

映画では、対慕容復戦までで、国と国との狭間で苦悩する姿は描かれなかった。…というか、そういうドラマ場面が殆どない。武侠ドラマのアクションシーンは、その前段に感情を揺さぶるいろいろな出来事があって、それらの感情の爆発=アクション、というのが醍醐味であり、名場面を並べただけではなかなかあの感動にたどり着けない。

物語をよく知っている人は戦闘場面を観ながら「あんなこともあったなあ」と思いを馳せることもできるし、そういう仕様なんだろうと思うけれど、感動は薄まる。

 

ただ対慕容復戦で慕容復に「契丹人のお前が大理国の剣で宋を守ろうとするのか?」と嘲られ「私は唯正道を守ろうとしているだけだ」というセリフ(うろ覚え)にはぐっと来た。

自分の依って立つ「国」や「所属先」の正義ではなく「正道」。やっぱり喬峯ってかっこいい。

…原作ファンにとっては不満でも、映画版として「天龍八部」のエッセンスは確かに視聴者に伝わっている、ってことなのかもしれない。

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家に帰って、まだ見たことのなかった、名作と呼び声の高い胡軍版「天龍八部」をちらっと見てみた。…20年も前の作品なのに(&ちょっと見ただけなのに)胡軍兄さんの喬峯、めちゃカッコ良かった。うーん、これに勝つのは難しいかも。

 

原題:天龍八部之喬峯傳 日本語タイトル:シャクラ

原作:金庸天龍八部

監督:甄子丹  製作:甄子丹・王晶 アクション監督:谷垣健治

出演:甄子丹 陳鈺琪 吳樾

 

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