lienhua’s Dragon Inn 龍門客棧

中国ドラマと香港映画について書いています 記事についてはINDEXをご参照ください

中国ではどうやって歌手になるのか① 「刘宇宁」の場合(上)

このところ音楽番組やら晩会(Gala)ばかり見ていて、ずっと気になっていることがある。中国は人口も多いので、歌手の数もやたら多い。なのにビルボードオリコン等にあたるヒットチャートもないようだし、ヒット曲を集めた番組のようなものも見当たらない。

そういう国で歌手として成功するのって、とても大変なんじゃないかと思う。

 

歌手のパーソナルヒストリーを紐解けば何かわかるだろうし、ちょっと調べ甲斐がありそうなテーマだ。好きな歌手何人かの経歴を調べてみようと思う。

最初は摩登兄弟刘宇宁。何でかって?…もうすぐ「一念関山」が日本OA だし、単に「推し活」です、はい。

 

資料は百度百科や中国版Wikiなどの基礎資料に加え、本人の微博やインタビュー、直播等。

中国語のインタビューを聞いただけで分かるような語学力はないので、英語や中国語のテロップ(ファンの方が追加してくれている)を参考にしています。

なるべく正確を期そうと思いますが、うろ覚えだったり間違っていたりする点もあるかもしれません。ご容赦ください。

--------------------------

「摩登兄弟刘宇宁」微博より 10月は生放送1本 晩会3本と大忙しだ

ファンならば刘宇宁が「歌手」と認められるまで、とても苦労した人だと知っていると思う。中国系のYouTubeで刘宇宁を取り上げる場合、よく出てくる言葉が「網紅」と「惨」だ。

何でこんな枕詞が付くのだろうか?

 

基本データでは見えてこない「惨」

日本で紹介されている刘宇宁のパーソナルデータは大体こんな感じだ。

 

歌手・俳優。1990年1月8日遼寧省丹東市生まれ。189cm、70kg。丹東烹飪二技校(調理専門学校)卒。

4歳の時に父が逝去、祖父母の許で育つ。歌手になるのが夢だったが家庭の事情で調理学校へ進学、音楽の専門教育は受けていない。丹東市の路上でライブ配信を行ったり、ショート動画を上げて人気を得る。デビューシングルは2018年「想像」。

 

これだけでは何が「惨」だったのかは見えてこない。音楽学校に通ってなくても歌手になる人はたくさんいるだろうし、路上ライブや配信も珍しいことではない。もう少し詳しく観てみることにしよう。

 

「摩登兄弟」結成まで

私が見たことのある刘宇宁の映像は高校時代のライブ(学園祭のようなところで歌っている)だが、不鮮明で(声はそれっぽいが)本人かどうかよく分からない。

18歳の頃から酒場で歌っていたらしいことは、本人の微博で分かる(2017年12月の微博で10周年だと書き込んでいる)。

 

中文版Wikiによれば2010年(20歳)の頃には「快楽男声」のオーディションに参加するが落選。「快楽男声」は湖南衛視主催のオーディション番組で、この時は8000組もの参加があった。

「音楽の道に進みたかったが家の事情で調理学校に進学した」ということは本人が度々語っていることで、卒業後は調理師、店員等の仕事をしながら酒場や火鍋店で歌っていた。

 

「摩登兄弟刘宇宁」誕生(2014年)

刘宇宁が歌手として名乗る時の正式名称は「摩登兄弟刘宇宁」だ。

「摩登兄弟」は刘宇宁が属するバンド名で、音楽作品の彼のクレジットも微博での名称も「摩登兄弟刘宇宁」(俳優としてドラマに出演する時は「刘宇宁」名義)。

摩登兄弟の結成は2014年(刘宇宁24歳)。結成当時は5人組でツインボーカルのバンドだった。

結成当時のメンバーは以下の通り。

 

刘宇宁(小宁 Vo)

隋艺(大艺 Vo.)

陈卓(阿卓 G)

张宇(大飞 Key)

杨洋(洋仔/羊仔 Sax)

 

全員が丹東市の出身。何処かのオーディション会場で会って意気投合して、という話を読んだ気がする。ボーカルが二人でサックスもいるのにドラムがいない、というちょっと不思議な陣容ではある。曲作りをするメンバーもいなかったようだ。

5人組時代にリリースした「東北版滑板鞋」「排山倒海」のMVを見ると革ジャンにサングラス、といった出立で、如何にも「ロックバンド目指してます!」という感じだ。

 

2015年(25歳)の1月からは微博で「摩登兄弟刘宇宁」としてファン向けの発信を開始。3月には「摩登兄弟」として「YY」で配信を開始する。YYは中国国内向けのライブ配信のプラットフォームで、所謂「投げ銭」システムで配信者に収入が入る。摩登兄弟は「YY 100人音乐计划」に参加し、最初のオリジナル曲「排山倒海」をリリースする。

2016年(26歳)にはボーカルの隋艺と共に湖南衛視の「我想和你唱第一季」に出場するが勝ち残れなかった。

 

この頃のバンド活動は微博の記述を見る限り、アマチュアバンドのそれに近い。「我想和你唱第一季」の時のふざけた衣装とか、Tシャツの販売、微博上での「200元の収入がありました」等々の報告…音楽だけでは生活できていなさそうだ。

 

地元・丹東市の映画監督の作品に出演したりもしている。(「九五2班」「秘密囚禁」「秦贼有道」いずれも網路電影)「九五2班」と「秦贼有道」は観たのだが…正直に言えば同人映画みたいだ。「九五2班」では主役(売れないミュージシャンだ)で貴重なバンド演奏シーンがある。演奏しているのは「漂洋過海來看你」(原唱:李宗盛)。

 

そうこうするうちに隋艺と杨洋がバンドを抜け、摩登兄弟は3人になってしまう(2017年)。

「摩登兄弟刘宇宁」微博より 摩登兄弟 丹東市の老街での配信初期の様子

街頭での直播開始(2017年)

街頭でのライブ配信が始まるのは3人になってからだ。場所は安東街という老街の突きあたり。壁(本当は店なんだけれど閉まっている)に向かって三人が座り、後ろの観客(或いは通行人)が見えるというスタイル。

 

2017年頃のライブ配信の模様は、今でもYouTube等に動画が残されていて見ることができる。丹東市は北朝鮮との国境の街で、冬は最低気温が-13℃、最高でも-3℃というところだ。雪も多い。冬の配信では分厚いダウンを着たお客さんがちょっと足を止めては行き去っていく。残って歌を聞き入る人は数人だ。

そんな中で30分程度、5~6曲を次から次に歌う、という内容で多い時は毎日配信した。

 

取り上げる曲は流行曲だけでなく1990年代~2010年代前半の往年のヒット曲が多く、それをロックアレンジと怒声(嗄れ声で唸るような声)で歌った。今まで直播で歌った曲目は、ざっと数えても500曲を超える。

 

この年、YY年度盛典で「年度最佳組合」準優勝(この時歌ったのは「平凡歌」(原唱:李宗盛)。ただ、一年経っても路上ライブの観客はまだそれほど増えていない。地道な努力が実って人気が爆発するのは、2018年(28歳)以降、抖音でのショート動画配信を始めてからになる。

 

ネットでの大成功(2018 28歳)

抖音はTikTokの中国国内版でショート動画が専門だ。なので名曲のサビの部分だけ録画してUPする、という方法がとられた。何度も撮り直している模様がYouTubeの動画に残っている。曲は「走馬(原唱:陳粒)」「講真的(原唱:李袁杰、曾惜)」等。

6月にはフォロワー数が2000万に膨れ上がり、路上ライブの老街には若い女性ファンが押し掛けるようになった(新浪娯楽 2018.07.09)。本人の微博にも「最近急に忙しくなったけれど、良い歌を届けられるよう真剣に歌います(意訳 2018.06.08付本人微博)」と綴られている。

 

路上ライブ配信は余りのファンの多さに場所を変えざるを得なくなり、やがて室内で聴衆なしの配信に変わった。刘宇宁以外の摩登兄弟メンバーはプロにはならなかったけれど、三人での配信は2020年頃まで続いたようだ。それ以降は刘宇宁一人で場所を微博に移しての生配信になったけれど、今でも月に1度程度は行われている。

3人でのライブ配信もごく稀に行われていて、3人の絆の深さが伺える。

 

OST分野に進出

ネットで名前が売れるようになると、OSTの依頼も来始める。映画「鎮魔司:四象伏魔」のエンド曲「兄弟情」(2018.06.20)、「淘气大侦探」(アメリカのアニメ映画「シャーロック・ノームズ」の中国タイトル)」の中国語主題曲「最値得的冒険」(2018.07.16)、そしてネットドラマ「沙海」の挿曲「譲酒」(2018.7.30)。

 

8月には初のファンミーティング&ミニコンサート「七夕摩登兄弟音楽会」を挙行。江蘇衛視、浙江衛視等の番組からも声がかかるようになる。「摩登兄弟」でなく個人としてカバー曲「走馬(09.10)」「無底洞(11.21)」、初のシングル「想像(09.15)」をリリース。初めての連続ドラマ「熱血少年」の撮影も始まる。

 

「網紅」という肩書

…ここまで書いてくると、少々遅咲きだがネット配信で名を馳せ、順調に有名歌手への路を歩んできたかに見える。

ただ、刘宇宁はなかなか「歌手」として認められなかった。この頃から刘宇宁について回る言葉は「網紅」。ネットの有名人、インフルエンサーのことだけれど、多分に否定的な意味を含む。

 

「走馬」リリース時の記者会見の動画を見たことがある。恐らくイベントか番組かに付随してのインタビューだったのだが、司会者の「ご質問をどうぞ」の問に、記者は誰も手を上げなかった。静まり返った会場で、刘宇宁は一人冗談を飛ばしつつ自己紹介をし、曲の紹介をして帰っていった。

…ネットで2000万のフォロワーがいても、世間の目は冷たかったようだ。

 

音楽業界の人が「網紅」を嫌うのには理由がある。YYの投げ銭システムに代表されるように、自分たちの音楽を無断で使用し稼いでいる。抖音のショート動画はヒット曲を歌うのだから受けるのは当たり前だし、サビだけ歌って美味しいところをつまみ食いしている。そう思う音楽人がいても不思議ではない。実際、ある歌手はレポーターの「網紅と専門教育を受けた歌手は違うか?」の質問に「違いはあると思う」と答えていた。

 

「網紅は歌手か否か」という問題は2019年、刘宇宁の「歌手2019」の参加を巡って大きな論争になる。刘宇宁の経歴がしばしば「惨」と称されるのはこの時の出来事によるところが大きい。

 

「歌手2019」に刘宇宁は出場したのか?

「歌手2019」で披露された歌唱はアルバムとして配信されており、刘宇宁が歌った「像我這樣的人」も「動物世界」も含まれているのだが、中文Wikiの「歌手2019」の正式参加者の中に刘宇宁の名は含まれていない。

 

…???

 

そもそも刘宇宁の詳細なプロフィールを調べようと思ったのは、これがきっかけだ。いろいろ調べているうちに、本人の微博上のとても痛ましい一文を読んだ。

 

「『歌手』の収録を終えて7時間、一睡もできませんでした。多くの人が私には歌手の資格がない、網紅が歌えるのか?と考えていることを知りました」から始まるこの文は、自分を「網紅」と呼ぶ人たちへの詫び状だ。

 

「(自分の番組への出演が)こんなに多くの人を不愉快にさせ、『歌手』という番組への不信を募らせることになっているとは思いませんでした。申し訳ありません。…(中略)…全ての不快に感じている人たちにお願いします。私にこの舞台で1曲を歌う時間をください」(1/16付刘宇宁微博より抜粋 筆者翻訳)

 

何が起こったんだろう?

----------------------

…少々長くなりそうですので、続きは別稿にて。

 

lienhua.hatenadiary.com

lienhua.hatenadiary.com

lienhua.hatenadiary.com