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…いろいろ惜しい気がする「阿麦従軍」

「阿麦従軍」観終わった…ぶつぶつ言いながら。

男装して従軍する女性、と聞くと「ムーラン」を思い出すけれど、雰囲気はだいぶ違う。全体にラブロマンス要素多め、戦闘少な目なので、戦場での活躍や爽快なアクションを期待すると肩透かしを食らう。登場人物の行動が???になりがちで、その理由は最終35話36話を観ないと分からない。

…しかも観たからといって、あまり納得のいくものではなかったり。

ここから先、最終話及びそれまでのストーリーに関するネタバレが含まれ、しかもだいぶ辛口です。構わないという方のみどうそ。

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「阿麦従軍」微博より 女主が凛々しくて期待したんだけど…

阿麦の造形は悪くないけど…

視聴を途中で投げ出さなかったのは阿麦の従軍の理由でもある両親殺害の真相が最後まで明かされなかったからだ。

 

主人公の阿麦は凛々しく漢前で好感が持てた。主役の阿麦を演じるのは张天爱、「雪中悍刀行」でクールビューティな白衣の剣客を演じていた女優さんだ。あの時も凛々しかったけれど、今回はもっと泥臭い男装。男性の衣装さえ着ていれば「男装」とみなされることの多い中国ドラマの中ではかなり本格的。多くの場面で鎧姿なのだけれど、身体に合っていて違和感がない。

 

幼い頃、元々軍の高官だった両親を惨殺された阿麦は、男のふりをして一人で生きてきた。口八丁で世間を渡りながら仇である許婚約者の陳起の行方を捜しており、彼が北漠の将軍となっていることを知り従軍する。

 

彼女を取り巻く男性は全部で四人。先の太子(現南夏帝の兄)の遺児、商易之。同じ軍の騎馬隊で兄貴分の唐紹義(高戈 飾)、敵軍の将だけど阿麦の復讐に力を貸そうとする常钰青(王瑞昌 飾)、阿麦の両親を殺して出奔、北漠の将軍になっている陳起(孙绍龙 飾)。

原作では彼らに対する阿麦の思いは揺れ動き、必ずしも一人に決めることはないようだけれど、ドラマでは商易之と両想いだ。

 

阿麦が従軍するのは10集を過ぎてから。全員分の出会いを描いたり、商易之とのロマンスを描いたりするのに忙しく、戦場での戦術や、戦闘状況の描写は少ない。結果、阿麦がどのくらい優秀な軍人なのか分からず、ただ自分勝手に動いているのに出世したように見える。

 

軍隊での活躍は想像していたより遥かに少なく、23集辺りからは戦場を離れ都が舞台。

北漠との戦いで大功を上げた商易之と阿麦を待っていたのは次期皇帝の座を巡っての太子と二皇子の争い。阿麦は両親が実は自国内の陰謀で殺害されたことを知り、犯人探しに乗り出す。…悲しいことに、この後阿麦が戦場に戻る場面は、ラスト近くになるまでない。

いろいろあって(後継者争いの描写も冗長)、太子と二皇子は亡くなり、皇帝も商易之に後を託して自害(でいいんだよね?病気?どっち?)。商易之が南夏帝の座に。商易之は朝廷の力関係の強化の為やむなく朝廷を牛耳る林相の娘を娶るが、阿麦を諦められず貴妃として娶り、後宮に閉じ込めようとするが失敗。そこに再び北漠軍が攻めてきて、阿麦は元帥職に復帰。

 

ラストとなる北漠との戦闘(35集・36集)で、商易之が陳起と手を結んでおり、阿麦と近しい唐紹義と常钰青の殺害を企み、南夏軍の敗北で戦いを手打ちにする予定だったことが発覚。唐紹義は戦死、陳起は阿麦の手にかかって死亡。同時に阿麦の両親の死は「北漠との10年の和平」の代価だったことも判明。阿麦は商易之と訣別する。

 

問題点はてんこ盛り

観ていて感じたのは以下の通り。

ラブロマンスの描写に多くの時間を取り過ぎて戦場の描写や、そもそもこの国(南夏)を巡る周辺国の状況などが描かれない。主人公も、元帥にまで出世するほどの活躍をしたように感じられない。

②舞台が都に移って以降、主人公・阿麦が活躍しないどころか隅に追いやられて存在感すら希薄。男主が主人公、というより宮廷内の陰謀話が中心だが、冗長。

③主な人物の心理描写、或いは心境の変化を象徴するようなカット・シーンがないので、何を考えているのか視聴者に伝わらず、特に男主はただの能天気な人に見える。

 

商易之の変化を描ききれていない

表面は善良なボンボンのまま、平気で人を駒として扱うようになる、というのを描きたかったのかもしれないけど、唯のボンボンにしか見えない。何だかぼおっとしているうちに軍の総司令官になり、政略結婚は嫌だと駄々をこねているうちに皇帝になって政略結婚し、ちょっと身勝手なまま阿麦を後宮に閉じ込めようとする、そんな感じ。

本来なら、第七隊を城下に入れない辺りで最初の変化があり(兵士を駒として扱い見捨てるようになる)、阿麦の両親の死の真相を知った時にも変化がある(無駄な戦闘をさせつつ裏で敵国と交渉、民や軍人の命で和平期間を買うことを是とする)はずだけど、ドラマを観ている限りは変化したように見えない。

 

皇帝になって以降、仮病の朝臣に死を申し付ける辺りでようやく「変わった」ことが分かるけれど、あまり印象に残らない。…もっとベタでもいいから阿麦以外の人に対する変化が描かれていれば印象も違ったかも。ラストでは粗相した太監をすぐに斬首しちゃうくらい残酷になっているらしいけれど、セリフでしか分からない。

 

確かににこにこしながら、前帝と同じことをするようになったら怖いけれど、そもそも何をしているかが35話になるまで伏せられているから、視聴者に伝わらないし、凄味も感じない。ロマンスものとしてこの物語を描くのなら、もう少し立体感のある人間像にしてあげないと、観ている方も同情しづらい。ラストの別れもただ愛想をつかされたみたいに見えてしまう。

 

割を食った陳起

この人も阿麦を取り巻く男性の一人なんだけど登場シーンも少なく、しかも幼い頃の阿麦との幸せな想い出を何度も回想するだけで、心情描写も全然ない。戦場では戦闘を「もう少し待て」と言って止めているだけの印象なので、正直無能に見える。

だけど最終2話に出てくる前帝の話を聞くと、この人が北漠と南夏の和平の為に果たした役割は少なくない気がする。

 

暗黙の裡に10年の不可侵条約を結ぶために阿麦の両親を殺害する必要があった時、実行犯としてこの人に白羽の矢が立ったのは彼が北漠人だったからで、恐らくは韓将軍の首をもって北漠に戻る→その功績で北漠軍で出世、10年の間に北漠軍の動向を決められる地位に→10年が過ぎて以降、北漠との暗黙のやりとり(ちょっと勝たせて矛を収めさせるとか)を担う、というのが与えられた役割だったのではないだろうか。

だから、次の南夏帝である商易之とも手を結ぶし、戦闘において率先しては動かない。

 

恐らくは阿麦が戦功をあげた豫洲での戦いも、豫洲城を北漠軍に与えて手締めの予定だったんだろう。ただ、ここで阿麦たちが大勝してしまったために石将軍を人身御供にして北漠軍に矛を収めてもらうことになったのではないだろうか。

陳起としては全ては阿麦の命と彼女の暮らす南夏を守る為で、そう考えると何度も同じ回想を繰り返すのではなく、彼の複雑な胸中を思わせる心理描写か、象徴的なカットくらい入れてあげてもよかったんじゃないだろうか。

 

唐绍義と常钰青

上の二人の描き方が上手くいっていれば、彼らと対照的な、唐紹義と常钰青のキャラクターももっと映えたと思う。原作は唐紹義は死んだかどうかはっきりせず、阿麦は常钰青の許へ行ったのか、唐紹義を捜すための旅に出たのかはっきりしないマルチエンドらしい。

 

ドラマの唐紹義はいい大哥ではあるけど阿麦に恋愛感情を持っているように見えない。常钰青はアナザーエンドで結ばれる展開もあったようだけど、敵国の将軍なんだし、彼が軍を辞めたいと思っている話でも入れないと結ばれるのは難しそう。

 

映画版が見たい

作品について調べているうち、同じ原作で映画も作られていることが分かった。主人公・阿麦はドラマと同じ张天爱。男性陣は黄晓明(恐らく商易之役)、陈晓(陳起役)だそうで、配役も豪華。監督は香港の名匠・张之亮(「墨攻」)。

配役の感じからすると陳起の役割が大きくなっているのかも。正直、ドラマ版よりこちらを見てみたい。でも撮影終了が2019年でドラマ版より2年も早く、しかも今まで公開されていない処を見ると、何らかの出来事で映画が没→阿麦役の张天爱が良かったので、彼女続投でドラマとして作り直した…のかも。

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ドラマ版は総じて、役者さんが悪いと言うより演出と構成の技量不足、という感じがする。セットや衣装の様子から、予算もそんなになかったものと思われるけど、戦場シーン以外の部分はライティングと撮影の美しさで予算不足をカバーしている。(戦場シーンだけは論外。いくらお金がなくてももっとやりようはあったはず)

要らない話をあちこちカットして、その分必要な描写を入れてあげたら、ロマンス中心になるにしろ、もう少し面白くなったのになあ。

 

原題:阿麦従軍 阿麦从军 Fighting for Love

原作:鲜橙「阿麦从军」 導演:田少波 编劇:刘成龙、杨宏伟 2024年 36集

出演:张天爱 Crystal Zhang Tian'ai 张昊唯Zhang Haowei 王瑞昌Wang Ruichang

高戈 Gao Ge

 

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